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某試験

前日は浦安までCirque du Soleilを見に行き、鉄板焼きに舌鼓を打ち、うまい酒を飲み干した。

前祝いである。

試験当日、したたかに二日酔の朝を迎え、いつもの如く酒は止めようとほざいた。


総武線から神田界隈を調子に乗って歩いていたら、五十肩の激痛が襲った。

しばしの間、肩を押さえながらうずくまり、悶える。


試験会場。

大学入試などと違い、人生を左右するものでもないせいか、皆に余裕を感じる。

そして、試験開始。

足下から涼しげな風が吹いてくる感じ。

心地よかった。

画像問題が進行する。

ふと局所的に涼しい感じがしてきた。

テーブル下に目を落とす。

・・・・チャック全開ではないか。(・ω・)ノ

いつからであろう?

私の知るの限り、最後に用を足したのは朝食後のトイレである。

従って、総武線から神田界隈まで、チャック全開のまま、肩で風を切り、胸を張って歩いていたことになる。

そういえば、会場受付嬢の視線が若干踊り、どもっていた。

さて、問題はどう対処するか、である。

チャックをあげるべきか。

しかし、カンニングと誤認されるのも癪である。

しからば、トイレに立つか。

しかし、衆目の目線の高さで、チャック全開のパンツが移動していく様はいささか目に余る。

しかも、パンツの奥の奥まで見えそうな勢いで全開なのである。

私も、そのような姑息な手段で戦友たちの試験妨害をするほど落ちぶれてはいない。

ならば、放置したまま経過観察か。

なかなかに心が許さない。麻酔科医はすぐに対処したがる生き物なのである。

しばし熟慮する。

今更、隠すほどのモノでもない、と悟り、しばし涼に浸る決意をし、試験問題にあらためて集中する。
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そして、画像問題が数問先に進んでいることに気がついた。
# by horizone | 2010-10-12 19:31 | 麻酔・集中治療

国家を想う

「国民には、それ相応の国家しか与えられない」

どこかの新聞で読んだような気がする。

自分は、世界中から尊敬と畏敬の念を集めるような国家に住まうことが出来るほどの人間であるとは思わない。むしろほど遠い存在である。

しかし、よりよい国家を形作る一員であろうと常々願っている。


尖閣諸島の問題で、中国の悪しき面が露呈したわけだが、残念ながら感服させられた。

それは、中国人民が、近代史を醜く歪ませながらにも確立し、自国に誇りを持っていることである。

翻って日本国民はどうだろう。


日本の近代史は、悲惨ではあったが、本当に醜かったのだろうか?

日本人は野蛮で隣国を蹂躙する集団であったのだろうか?


近隣諸国ばかりを賛美し、自国日本を蔑む前にぜひ紹介したい動画が二つある。

     俺は、君のためにこそ死にいく


     神風特攻隊員たちの遺書



ずる賢い奴も当然いただろう。

ひどい奴もいたはずだ。

だが、我々を含めた将来生まれてくる日本人を愛し、我々のために命を投げ出してくれた方々も、決して少なくない。

自分は、日本の近代史に対し、大いなる反省と共に誇りを強く抱いている。


「国民には、それ相応の国家しか与えられない」

卑屈で醜い近代史観しか持たない国民には、そのような国家しか与えられないということである。



先日、遅まきながら、九段の靖国神社へ初参拝した。遊就館も訪ねた。

境内に立つと、一陣の風が吹き、心が洗われた気がした。

「普段の悩みがくだらないことに思える」、そういった人もいた。まさにその通りであった。

帰りに事務所に立ち寄った。

入院中の祖母に聞いた話では、どうやら祖父の弟(大叔父)が祀られているというのだ。

事務員の方には丁寧に調べていただいた。

そして、探し出した大叔父の名簿に驚いた。

奇しくも、その日は大叔父の命日であったのだ。
# by horizone | 2010-09-28 19:57 | 写真・旅行

controversial

手術時には術野を清潔に保つためにドレープと呼ばれる清潔な布やシートを患者さんに掛ける。

穴あきのドレープを使用する場合、術野に最適な大きさの穴が開いたドレープを選択するのが基本だ。

しかし、時に意図していたより小さな穴だったりする。

当院の外科部長はそんなとき、おもむろにドレープを引き破って穴を拡大する。

そんなことは、どうでもよかった。

クーパーでも使えば楽ちんなのに、くらいしか思っていなかった。



ある日、繁華街で外科部長夫婦を見かけた。

今年は猛暑を通り過ぎ、酷暑である。

皆が風通しの良さそうな服装の中、外科部長の○○歳年下の可憐な若奥様、なぜか網タイツである。

派手な網タイツである。

ふと、外科レジデントの言葉を思い出した。

「あのセンセ、公私両面で破るの好きなんですよねぇ。。。」



翌日、外科レジデントを問い詰めたが、とぼけて何も話してくれない。

ドレープを掛ける外科部長をじっと観察してみた。

なんとなく目がすわっている気がする。

そしてドレープを破りだした。

・・・・目が笑っている?



今日も外科部長を観察研究している。

未だに、ドレープと網タイツの関係はcontroversialである。
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# by horizone | 2010-09-09 19:12 | 麻酔・集中治療

四十肩・五十肩

母親が五十肩のようだ。

いわゆる五十肩、,『高齢者に生じる誘因のない痛みを伴った肩の動きの制限(拘縮)』を示す症候群とのこと。「今日の診療vol19より」

そして、現在、自分も五十肩の典型的症状を呈している。

かみさんの職場の同僚(50歳くらいのおばちゃん)と全く同じ症状である。

腕が上がらず、上肢の動作によっては指の近くまで激痛が走る。


 いわゆる五十肩、,『高齢者に生じる。。。

 高齢者に生じる。。。

高齢者 σ(・・;)!?

まだ40歳前なのに。


湿布を貼り、ロキソニンを服用し、一ヶ月。。。

痛い。痛すぎる。思考能力も低下し、JB-POT試験対策は危機的状況である。

挿管操作も苦痛を感じることがあり、麻酔科医病原性挿管困難の発生をAWSで回避する羽目になった。

そして、最近、ついに、気分も落ち込み、痛みの範囲が広がってきた。皮膚の知覚過敏もある感じ。

やばい。CRPS!?

大学で、足の捻挫から痛みが全身に拡大し、社会復帰不能に陥った症例が頭をよぎる。

かみさんの顔と住宅ローン残高が頭をよぎる。(心配しすぎ?)


直ちに目の前の研修医を捕まえ、神経ブロック(トリガーポイントブロック)の指導(笑)にかかる。挿管と昇圧剤の使い方、出血への対応が一番うまかった研修医君である。急変時の対応は整形外科のベテランドクターより安心だ。

患者は指導医を兼務しており、リスクは十分すぎるほど理解しているため、ICは不要である。が、他の患者に実施する場合には必ずとること、今回は指導医の権限(笑)で省略するが、CBC、凝固系のチェック、や一般的なアナムネは他疾患と同様に聴取することを指導する。

そして1%キシロカインが装填されているシリンジが研修医君に手渡された。

神経ブロックの際には常にaspiration testを行うように指導しつつ、圧痛点に2mLずつ局注、計10mL注入してもらった。

感想は。。。



トリガーポイントブロック、ブラボー!∀_(ToT)/


喉頭鏡を使って挿管することに感動したのは研修医時代以来である。

ちょっと上肢に力が入りにくくなった感じだが、症状は劇的に改善した。

もっと早くやってもらえばよかった。

麻酔科医になってよかった。

医者になってよかった。

神様、仏様、研修医君、家族のみんな、自分を育ててくれたみんな、ありがとう、ありがとー!!
# by horizone | 2010-08-31 19:19 | メニエル病

スティーブ・ジョブズの卒業式スピーチ①

何度聞いてもいい話だ。

勇気、元気、やる気をもらい、落ち込んだ自分を励ましてくれた。

英語の勉強もかねて数十回は聞いている。

以下、勉強用にネットで入手した英文と翻訳を手直ししたものを並べたもの。翻訳自体はアンさんのサイトの方が洗練されている感じがする。
スティーブ・ジョブズの卒業式スピーチ①_e0041265_1365275.jpg


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I am honored to be with you today at your commencement from one of the finest universities in the world. Truth be told, I never graduated from college. And this is the closest I've ever gotten to a college graduation. Today I want to tell you three stories from my life. That's it. No big deal. Just three stories.
本日は、世界有数の大学の1つを卒業される皆さんとここに同席することができ、たいへん光栄に思います。実のところ、私は大学を出ていません。ですから私にとって、これが今までで大学卒業に最も近い経験になります(笑)。今日私がお話したいのは、私が自分の人生から学んだ3つの話です。それだけです。たいしたものではありません。たった3つです。

The first story is about connecting the dots.
最初は、「点と点をつなぐ」という話です。

I dropped out of Reed College after the first 6 months, but then stayed around as a drop-in for another 18 months or so before I really quit. So why did I drop out?
私はリード大学を半年でドロップアウトしましたが、実際に退学するまでの間18ヶ月間ほどは大学に居残っていました。なぜドロップアウトしてしまったのでしょうか?

It started before I was born. My biological mother was a young, unwed college graduate student, and she decided to put me up for adoption. She felt very strongly that I should be adopted by college graduates, so everything was all set for me to be adopted at birth by a lawyer and his wife. Except that when I popped out they decided at the last minute that they really wanted a girl. So my parents, who were on a waiting list, got a call in the middle of the night asking: "We’ve got an unexpected baby boy; do you want him?" They said: "Of course." My biological mother found out later that my mother had never graduated from college and that my father had never graduated from high school. She refused to sign the final adoption papers. She only relented a few months later when my parents promised that I would go to college. This was the start of my life.
話は私が生まれる前に遡ります。私の生みの母親は若い未婚の大学院生だったため、私を養子に出すことにしました。彼女は、私が大卒者の家庭で育てられるべきだと強く考え、弁護士の夫婦と養子縁組の手配を整えていました。しかし実際に私が生まれた最後の土壇場で、彼らは女の子が欲しいということになってしまったのです。そこで夜遅くに、養子縁組待ちのリストにあった両親のところに電話が行きました。「予定外の男の赤ちゃんが生まれました。養子縁組を希望しますか?」両親は答えました。「もちろん」と。その後、母が大卒ではなく、父は高卒ですらないということを知って、生みの母親は養子縁組の最終書類への署名を拒否しました。彼女が折れたのは数ヶ月後です。両親が、私を大学に行かせると約束したからでした。これが、私の人生の始まりです。

And 17 years later I did go to college. But I naively chose a college that was almost as expensive as Stanford, and all of my working-class parents' savings were being spent on my college tuition. After six months, I couldn't see the value in it. I had no idea what I wanted to do with my life and no idea how college was going to help me figure it out. And here I was spending all of the money my parents had saved their entire life. So I decided to drop out and trust that it would all work out OK. It was pretty scary at the time, but looking back it was one of the best decisions I ever made. The minute I dropped out I could stop taking the required classes that didn't interest me, and begin dropping in on the ones that looked far more interesting.
17年後、私は確かに大学に入学しました。しかし私は、さしたる考えもなしに、スタンフォード並みに学費の高いカレッジを選んでしまいました。労働者階級だった両親の貯蓄はすべて大学の学費に消えていってしまいます。6ヶ月後、私はそこに価値を見出せなくなっていました。私は、自分が人生において何をしたいのか、それを見つけるために大学が何の役に立つのか、まったく分かりませんでした。にもかかわらず自分がここにいることで、両親は生涯かけて貯めた金を残らず使い果たそうとしています。だから私は退学すると決めました。これですべてうまくいくと信じていました。もちろん、そのときはたいへん恐ろしい思いをしました。しかしふり返ってみると、あれは私の人生で最良の決断の1つだったといえます(笑)。ドロップアウトしたそのときから、私は興味を持てない必修科目はやめて、それよりはるかに面白そうな科目に出ることができたからです。

It wasn't all romantic. I didn't have a dorm room, so I slept on the floor in friends' rooms, I returned coke bottles for the 5¢ deposits to buy food with, and I would walk the 7 miles across town every Sunday night to get one good meal a week at the Hare Krishna temple. I loved it. And much of what I stumbled into by following my curiosity and intuition turned out to be priceless later on. Let me give you one example:
もちろん、すべてがいい話というわけではありません。寮の部屋もありませんでしたから、夜は友人の部屋の床で寝て、コークの瓶を店に返すともらえる5セントを集めて食べ物を買ったりしました。毎週日曜の夜は、7マイル歩いて街を抜け、ハーレ・クリシュナ寺院に行っておいしいご飯にありつきました。あれは大好きでしたね。そんなふうに、自分の興味と直感に従って動き回っているうちに出会ったものの多くが、後からみればこの上なく価値のあるものだったのです。例をひとつ挙げてみましょう。

Reed College at that time offered perhaps the best calligraphy instruction in the country. Throughout the campus every poster, every label on every drawer, was beautifully hand calligraphed. Because I had dropped out and didn't have to take the normal classes, I decided to take a calligraphy class to learn how to do this. I learned about serif and san serif typefaces, about varying the amount of space between different letter combinations, about what makes great typography great. It was beautiful, historical, artistically subtle in a way that science can't capture, and I found it fascinating.
リード大学は、カリグラフィ教育において、おそらく当時国内最高水準でした。キャンパス中どこでも、ポスターやら戸棚のひとつひとつに貼るラベルなど、すべてが美しい手書きのカリグラフィで飾られていました。私はもうドロップアウトしていて普通の授業には出なくていいわけですから、カリグラフィのクラスに出て、そのやり方を学んでみようと思ったのです。セリフとサンセリフの書体、さまざまな字の組み合わせに応じて文字間隔を調整する手法や、美しい字体は何が美しいのかなどを学びました。それは美しく、歴史があり、科学ではとらえられない繊細な芸術性をもった世界です。私は夢中になりました。

None of this had even a hope of any practical application in my life. But ten years later, when we were designing the first Macintosh computer, it all came back to me. And we designed it all into the Mac. It was the first computer with beautiful typography. If I had never dropped in on that single course in college, the Mac would have never had multiple typefaces or proportionally spaced fonts. And since Windows just copied the Mac, it’s likely that no personal computer would have them. If I had never dropped out, I would have never dropped in on this calligraphy class, and personal computers might not have the wonderful typography that they do. Of course it was impossible to connect the dots looking forward when I was in college. But it was very, very clear looking backwards ten years later.
もちろんそのとき、これらが人生の上で実際に役に立つ可能性があるなどとは思ってもみませんでした。しかし10年後、最初のマッキントッシュ・コンピュータを設計していたとき、その時のことがよみがえってきたのです。そこで私たちは、それらをすべてマックに組み込みました。美しいフォントを持った初めてのコンピュータです。もし私が、大学であの授業にもぐりこんでいなかったとしたら、マックには複数フォントも字間調整フォントも入っていなかったでしょう。ウィンドウズは単にマックをコピーしたものなので(笑)、パソコンがそれらを持つことはなかっただろうと思います(拍手)。もし私がドロップアウトしていなかったら、あのカリグラフィのクラスにもぐりこむこともなく、パソコンが現在のようなすばらしいフォントを備えることもなかったでしょう。もちろん、大学にいた当時、そんな先々のことまで考えて点と点をつなげてみるようなことはできませんでした。しかし10年後からふり返ってみると、非常にはっきりと見えるわけです。

Again, you can't connect the dots looking forward; you can only connect them looking backwards. So you have to trust that the dots will somehow connect in your future. You have to trust in something — your gut, destiny, life, karma, whatever. Because believing the dots will connect down the road, it gives you confidence to follow your heart; even it leads you off the well-worn path. And that will make all the difference.
繰り返しますが、先を読んで点と点をつなぐことはできません。後からふり返って初めてできるわけです。したがってあなた方は、点と点が将来どこかでつながると信じなければなりません。自分の勇気、運命、人生、カルマ、何でもいいから、信じなくてはなりません。点がやがてつながると信じることで、たとえそれが皆の通る道からはずれても、自分の心に従う自信が生まれます。これが大きなちがいをもたらしてくれるのです。

My second story is about love and loss.
2つめは、「愛」と「敗北」についての話です。

I was lucky — I found what I loved to do early in life. Woz and I started Apple in my parents’ garage when I was 20. We worked hard, and in 10 years Apple had grown from just the two of us in a garage into a $2 billion company with over 4000 employees. We had just released our finest creation — the Macintosh — a year earlier, and I had just turned 30. And then I got fired. How can you get fired from a company you started? Well, as Apple grew we hired someone who I thought was very talented to run the company with me, and for the first year or so things went well. But then our visions of the future began to diverge and eventually we had a falling out. When we did, our Board of Directors sided with him. So at 30 I was out. And very publicly out. What had been the focus of my entire adult life was gone, and it was devastating.
私は幸運でした。自分が何をしたいのか、人生の早い段階で見つけることができたからです。実家のガレージでウォズとアップル社を始めたのは、私が20歳の時でした。私たちは一生懸命働きました。そして10年後、アップル社は、たった2人のガレージ企業からスタートして、従業員4千人以上を抱える20億ドル企業になっていました。しかし、私たちの最高の作品、マッキントッシュを発表して1年後、30回目の誕生日を迎えたその矢先に、私は会社をクビになってしまいました。なぜ自分が始めた会社をクビになるのでしょうか?(笑)アップルが大きくなっていったため、私たちは、非常に有能と考えた人物を、私の右腕として会社を経営してもらうために雇いました。最初の1年前後はうまく行きました。しかしやがて、互いの将来ビジョンは離れていき、最後は決定的な亀裂を生じてしまいました。そのとき取締役会が支持したのは彼のほうだったのです。こうして私は、30歳にして会社を追い出されました。それはもう公然と追い出されたわけです。自分が大人になって以来全てをかけて打ち込んできたものが消えたのですから、私はもうぼろぼろでした。

I really didn't know what to do for a few months. I felt that I had let the previous generation of entrepreneurs down - that I had dropped the baton as it was being passed to me. I met with David Packard and Bob Noyce and tried to apologize for screwing up so badly. I was a very public failure, and I even thought about running away from the valley. But something slowly began to dawn on me — I still loved what I did. The turn of events at Apple had not changed that one bit. I had been rejected, but I was still in love. And so I decided to start over.
数ヶ月の間、私はどうしたらいいのか本当に分かりませんでした。自分は前の世代の起業家たちの名誉を汚してしまった、渡されたバトンを落としてしまったのだ、と感じました。デビッド・パッカードとボブ・ノイスに会って、全てを台無しにしてしまったことを詫びたりもしました。知らぬ者のない失敗者です。シリコンバレーから逃げ出すことすら考えました。 しかし、やがて私の中で何かが見え始めました。私はまだ自分の仕事を愛していました。アップルでのできごとがあっても、その気持ちはいささかも変わらなかったのです。私はふられてしまったわけですが、まだ好きでした。だからもう一度やり直してみようと決めました。

I didn't see it then, but it turned out that getting fired from Apple was the best thing that could have ever happened to me. The heaviness of being successful was replaced by the lightness of being a beginner again, less sure about everything. It freed me to enter one of the most creative periods of my life.
その時は分かりませんでしたが、後からみると、アップルを追い出されたことは、人生で最良のできごとでした。成功者であることの重みが、もう一度初心者であることの身軽さに代わったのです。ものごとに対して前ほど自信も持てなくなりましたが、同時に私は自由の身となり、人生で最もクリエイティブな時期にもう一度入ることができました。

During the next five years, I started a company named NeXT, another company named Pixar, and fell in love with an amazing woman who would become my wife. Pixar went on to create the world's first computer animated feature film, Toy Story, and is now the most successful animation studio in the world. In a remarkable turn of events, Apple bought NeXT, I returned to Apple, and the technology we developed at NeXT is at the heart of Apple's current renaissance. And Laurene and I have a wonderful family together.
その後5年の間に、私はNeXTという会社を立ち上げ、ピクサーという会社を作り、素晴らしい女性と恋に落ち、その女性と結婚しました。ピクサーはやがて世界初のコンピュータ・アニメーション映画「トイ・ストーリー」を創り、今では世界で最も成功しているアニメーション・スタジオとなりました。思いがけないことからアップルがNeXTを買収し、私はアップルに復帰しました。NeXTが開発した技術は、最近のアップルの復活において中核的役割を果たしています。ローレンと私は一緒に素晴らしい家庭を築いてきました。

I'm pretty sure none of this would have happened if I hadn't been fired from Apple. It was awful-tasting medicine, but I guess the patient needed it. Sometimes life hits you in the head with a brick. Don't lose faith. I'm convinced that the only thing that kept me going was that I loved what I did. You've got to find what you love. And that is as true for your work as it is for your lovers. Your work is going to fill a large part of your life, and the only way to be truly satisfied is to do what you believe is great work. And the only way to do great work is to love what you do. If you haven't found it yet, keep looking, and don't settle. As with all matters of the heart, you'll know when you find it. And, like any great relationship, it just gets better and better as the years roll on. So keep looking. Don't settle.
私は断言できます。もし私がアップルを追い出されていなかったら、これらのことはひとつとして起こらなかっただろうと。もちろんそれは苦い薬でした。しかし患者には、それが必要だったのでしょう。時として人生には、レンガで頭を殴られるようなひどいことも起きます。しかし信念を投げ出してはいけません。私が続けられた理由はただ1つ、自分のやっている仕事が好きだったということです。そしてこれは皆さんの仕事や恋愛においても同じです。皆さんも、仕事が人生の大きな部分を占めていくでしょうが、真に満足するために必要なのはただ1つ、皆さんが素晴しいと信じる仕事に取り組むことです。そして素晴らしい仕事をしたいと思うなら、皆さんがやっている仕事を愛さなければなりません。もしまだそれを見つけていないのであれば、探し続けてください。ひとつの場所に固まっていてはいけません。心というのはよくしたもので、見つければそれとわかるものです。そして素晴らしい恋愛と同様に、年を重ねるごとによくなっていきます。ですから、探し続けてください。ひとつの場所に固まっていてはいけません(拍手)。

<続く>
# by horizone | 2010-07-22 13:16 | 趣味・家族